天才の証明

 
東京バックビート族 林立夫自伝

東京バックビート族 林立夫自伝

  • 作者:林 立夫
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: 単行本
 

  荒井・松任谷由実の仕事を始めとして、林立夫のドラムを抜きにして戦後日本のポップスを語るのは難しい。言い換えれば、かならずわれわれはどこかで林立夫のプレイを耳にしているのだ。その鷹揚ともいえる絶妙な揺れ…もっとも欲しいところで叩き込まれるフィル、曲そのものをドライヴさせ、浮遊させる…そんな印象を抱くドラムだ。曲の流れと同化しているがゆえに意識に昇らないことも多いが、一度気が付くと、そのプレイからは耳が離せなくなってしまう。そんな日本を代表するドラマーが自らの仕事を語る本が出た。林立夫はどうやってあれほど素晴らしいプレイヤーになったのか?この本を読めばそれが分かるかもしれない。
 
 古美術商の家庭の末っ子に生まれ、年上の兄たちの聴いている音楽やファッションを真似し、アメリカ文化に憧れつつまだ占領下の名残が残る日本で育つ…林の少年時代についてほのぼのした心温まるエピソードは多いが、その時代に東京に生まれ育った中流階級の子供の思い出として特に特別なところはないようだ。しかしその遊び友達に小原礼高橋幸宏などという後に日本史に名前が残るようなプレイヤーたちがいたというのは驚くべきことに思える。やはり、同じ音楽を志す仲間と切磋琢磨することが名プレイヤーへの道なのだろうか。しかし、そういったプレイヤーというイメージに反し、林自身は常に「自分はリスナーであるという意識が強い」ということを繰り返し、挙げ句の果てには「専業ドラマーという意識が薄い」という言葉まで飛び出す。
 
 
 同じ意識は、幼なじみの高橋幸宏との対談でも現れる。
 
(ドラムという視点に固執しないという共通点があるがなぜか?という質問に対し)

幸宏:だって、ドラマーになりたかったわけじゃないですから。
林 :そうだよね。
幸宏:林もそうだろうけど、個人的にドラムスクールに通うっていうダサさ、みたいな感覚はありましたね。*1

 

 おそらく、彼らは、戦後にポップス趣味文化の中で育ち、なおかつ「スタジオ・ミュージシャン」となった最初期の世代なのではないか。戦前にレコード会社専属のスタジオミュージシャンたち、ビッグバンドのプレイヤーたちはバンドの中で訓練され、レコード会社に所属するスターたちのレコーディングに従事するプロ中のプロであった。それが、戦後にはビッグバンドに入るわけでもなく、音楽学校で学んだわけでもないロックバンド上がりの若者が「スタジオ・ミュージシャン」という仕事に参入していくことになる。
 
 これは、日本のポピュラー音楽のなかにロック/R&Bの影響を受けた新しい市場が誕生したことと関係している。筒美京平なかにし礼などGSの流れを汲んだ若い作曲家/作詞家たちが歌謡曲の中核に位置したとき、林や高橋、村上 “ポンタ”秀一などはいわばその「隙間」に入り、彼ら新しい世代の作家との仕事に多く従事した。それは、これまでには存在しなかったポジションの職業であり、アマチュア・バンドがロックンロール・スターとして成功する…というある意味 “分かりやすい”コースとは異なった複雑さがあるように思える。(あるいは「バカテクドラマー」のようなスター的な在り方とも異なるものだろう)
 
 この「戦後のスタジオ・ミュージシャン」という微妙な立ち位置が、「専業ドラマーとしての意識が薄い」などと言う林自身のふわふわした自己認識にかかわっているような気がする。この認識は、彼が86年にミュージシャン業を引退し、その後10年活動しなかったことにもかかわってくるだろう。
 
 時代的なことを言えば、林が不在だった時期は、ポップス上の流行の変化やデジタル・プロダクションの流れによって「歌謡曲」およびスタジオ・ミュージシャンがポピュラー音楽の中心から退いていく時代である。そのなかで「ポップス聴取趣味」と「スタジオ・ミュージシャン」との結びつきは再び薄れていくことになる。林のキャリアは戦後のある時期以降にしかありえないものだったが、またある時期までしかありえないものでもあったのではないか?と思わせる。
 
 長々とした推論はいいから、林立夫がなぜあれほど素晴らしいドラマーなのか教えてくれ、と思われるだろうが、本書を読み終わってもその答えは明らかにならず、また本人もそれを特に理解しているようには思えなかった。(むしろ自らの技術を卑下する謙虚な言葉が多く目に付いた。) “天才だから”と言ってしまえばそれまでなのだろうが、彼自身が語っている「リスナー性」というのは一つの鍵となりそうだ。
 
 彼は「曲の流れを理解してプレイする」ということを再三重要視する。その上で、それが掴めない仕事は断る。すなわち「仕事を選ぶ」という。さらに、譜面のみを見てプレイするミュージシャンが少なくなかったなか、プレイ時にはかならず仮歌を聴いたといい、歌手がいない場合はディレクターなどに歌わせてまでメロディや曲調を理解しようと努めたという。
 
僕はインペグ屋さんに「できるだけ誰のレコーディングなのかを先に教えてほしい」と言っていた。それに、「仮歌がないと叩けない」なんて言い出したのは、おそらく僕が初めてじゃないだろうか。だって、メロディがないとお門違いなドラムを叩くことになりかねないから。

 

僕が「メロディないと叩けない」と言うと、ディレクターやプロデューサーが一生懸命歌ってくれることもけっこうあった。僕は、拙くてもいいから、とにかくどんな感じのメロディなのかを知りたかった。*2
 
 これは林というドラマーを見る上で注目すべき点だろう。このような、当時としては異例ともいえる林のこだわりが、その仕事のクオリティを上げたことは想像に難くない。林はこのような自らの振る舞いを「僕は100%セッションマンになりきれないタイプだった」と語っているが、そこから日本の歌謡曲/ニューミュージックを代表するような録音が数多く生まれることになるのだ。
 
 本書を読んでいると、林立夫というドラマーは戦後の一時期に生まれたかなり特殊な「スタジオ・ミュージシャン」であること、その奇跡的に微妙なバランスについて考えさせられる。しかし結局のところ、こうした推測や、あるいは当事者の自己認識をも超え、レコードに記録された演奏だけが確固としたものとして残るのだ。紅白歌合戦や「おげんさん」でバックを務める林立夫のプレイは大きなブレイクを特に感じさせることもなく、相変わらず素晴らしかった。

 

*1:同書93ページより

*2:168-169ページより