「レッキング・クルー」の一員として知られるベース奏者、ジョー・オズボーン(Joe Osborn)が亡くなったそうです。享年81歳。
60年代のアメリカン・ポップス好きなら、かならずジョーのベースを聴いたことがあるはずで、それぞれの頭の中でそれぞれのフレーズが鳴ったのではないでしょうか。
Simon & Garfunkel「The Only Living Boy in New York」
僕がまず思い浮かべたのは『明日に架ける橋』での彼のプレイです。このアルバムは全曲ハル・ブレイン=ジョー・オズボーンで、たとえばこれなんかは曲の始まりから高音弦を使ったユニークなプレイで、ふわっと体が浮き立つような、ポップスの滑り出しとして完璧な演奏だと感じます。そこに叩き込まれるハル・ブレインのドラム…。この曲はまさにこのコンビの魅力がわかりやすく伝わる名演の一つと言っていいでしょう。ハルのカシャカシャした派手なドラムと合わせて、ちょっとファニーというか、オモチャっぽいというかね。この胸ときめく感じがポップスのリズムセクションですよね。
The Association「Never My Love」
ジョーのベースってやっぱりR&Bとかの柔らかい感じじゃなくてもうちょっとゴリゴリっとしているというか、キックと同期したズーンというアタック感を一番重要視してるという感じで、これなんかも現在の「ソフトロック」のイメージで行くとベースはけっこう「硬い」音というか、ピック弾きなのかな?と思っていましたが、「ジョーといえばジャズベのピック弾き」というのはけっこう常識だったっぽいです。
しかしそのスタイルのためにジョーは70年代後半、不遇な時期を送ったといいます。
「70年代後半から80年代前半、プロデューサーたちはジョーの魅力がフラットワウンド弦のピック弾きにあることを理解せず、ラウンドワウンド弦で指弾きすることを求めた。これはジョーにとって過大な要求だった」
たしかに、70年代に指弾きの柔らかいサウンドが流行る中で、あのブンブンピック弾きするスタイルはずいぶん古臭く聴こえただろうな、というのは想像できる気がします。で、彼はここで一度リタイアしちゃうようです。その後90年代に入ってベース・マガジンで取り上げられたりシグネチャー・モデルが出たりして再評価されたそう。
ジョーはもともとカントリー音楽出身で、リッキー・ネルソンのバックバンドで有名になったプレイヤーです。なので、70年代はナッシュヴィルに戻って仕事しており、ニール・ヤング『Comes A Time』(1978)をはじめとしてカントリー系の音楽でも多数の参加作があることで知られています。
レッキング・クルーが活躍した時代、「ロックだけやってきました」みたいな人はまだおらず、ジョーのようなカントリー上がりだったり、ジャズ上がりだったりのミュージシャンが混在してるんですが、彼らがロックンロール/R&Bなんぞやと試行錯誤しつつやってるところに面白さがあった気がします。例えばハル・ブレインなんかはレッキング・クルーに参加する以前はストリップ・ショーの賑やかしで演奏していたそうですが、その賑やかし感は彼の華やかなドラムによく表れていますよね。そういう、一種マニュアル化できないところに大きな魅力があったような気もします。
レッキング・クルーの演奏には70年代のR&B・ファンクに比べると素朴にも聞こえる8ビート主体の演奏が多いですが、その8ビートのなかにある奥深さ、そういうものに気づかせてくれたということで、ジョーには頭が上がらない思いです。来年も彼の残した演奏を聴き続けることになるでしょう。