歓喜の歌

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Wilco『Ode To Joy』

 

 『Ode To Joy』制作にあたり、バンドのフロントマンであるジェフ・トゥイーディはリズムマシンを使ってドラム・トラックを打ち込み、そのうえでドラマーのグレン・コッチにこう伝えたという。「グレン、この曲で君はテクニックを見せつける必要はないんだ。ドラム一発(just one hit)で何を伝えられるか考えてくれ」

 

 それからジェフとグレンは全ての曲のドラムをできるだけシンプルにしていった。ハイハットを省き、フィルを省く。高い技術を誇示する代わりに、2人はスネアがくたびれた鳴りに聞こえるにはどうしたらいいのか?ドラムが“ドラムらしく”響くにはどうしたらいいのか?と模索し続けたという。

 

 この解体作業は他のパートにも及ぶ。このアルバムで極限まで「弾かない」ことに徹したというギタリストのネルス・クラインはこの作業に興奮しつつも戸惑いを感じていたという。「ぼくは音楽にプラスになることなら何でもするというスタンスなんだが」「ある曲では、ぼくのプレイは“音楽にかかる毛布”程度のものなんだ。その音がギターなのか分からないぐらいなんだよ」。

 
 

f:id:suimoku1979:20210919192222j:plainネルス・クライン

 
 しかし、音数を減らすことでトラックには空間が生まれ、一発一発の音がより豊かに、よりダイナミックに響くための余地が生まれる。クラインが“音楽にかかる毛布”と自虐するギターはトラックの隙間を霧のように縫い、サイケデリックな雰囲気を生んでいる。『Ode To Joy』の、シンプルでありながら躍動的で色鮮やかなサウンドは偶然に生み出されたものではなく、背後には意識的な解体の過程があったのだ。
 
 本作でグレン・コッチが取り入れた、ハイハットを叩かずフィルを入れない奏法はヒップホップの影響を受けた現代のドラマーたちが好んで取るスタイルでもある。2010年代、ヒップホップの影響を受けて生演奏が変化してきたことはよく指摘されるが、ウィルコのこの作品もその流れを汲んだものといっていいのかもしれない。しかし、単に「取り入れた」というだけでは十分ではなく、「なぜ取り入れたのか」「それによって何を生み出したのが」という目的・結果こそがつねに注目されるべきだろう。
 

f:id:suimoku1979:20210919192258j:plainウィルコ

 

 ジェフ・トゥイーディはインタビューにおいて、『Star Wars』(2015年)『Schmilco』(2016年)という賛否両論を呼んだ過去2作について、「この2作を作ったときは全然“Ode To Joy”(歓喜に寄せて)なんて気持ちにならなかったね」と、いささか心配になるほど率直に振り返っている。どこか不満感の残った過去2作品のレコーディングを経て、彼らがたどり着いたのが冒頭の「シンプルな/プリミティヴなサウンドの追求」というテーマだった。出来上がった音楽を聴けば、その追求は一定の達成を見たと言えないだろうか。
 
 そういう意味でいえば、1曲目の「Bright Leaves」で鳴り響くドラムこそ、ウィルコの到達点を端的に示す“Ode To Joy”(歓喜の歌)といえるのかもしれない。イントロで、キックとスネアは少しよれつつ鷹揚なリズムを刻む。そこには8分を刻むハイハットもなく、フィルも入らない。心音のように剥き出しの音。その響きは50年代のロックンロールや、リヴォン・ヘルムが『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』に刻んだものにどこかで通じている。そう思えてならない。
 



 
参照:Andy Cush ‘Wilco’s Search for Joy’(Spin, 2019.9.25)