サム・ゲンデル『Inga 2016』を聴く (2)

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前回記事

前回記事からぼやぼやしている間に、フィジカル・オンリー・リリースだった本アルバムが配信で聴けるようになるという事件があった。

 

 

というわけで、これからはサブスク上の音源を参照しつつ『Inga 2016』という作品を聴いていくことができるわけである…。

 

inga 2016

inga 2016

  • Sam Gendel
  • ジャズ
  • ¥1833

 

では、前記事に引き続き6曲目から行ってみよう。

6. mamae oxum(traditional)

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『Volunteered Slavery EP』発表当時のジャケット

『Volunteered Slavery EP』より。ヴォーカルはサム・ゲンデルがとっているようだが、かなり滑らかにブラジル語の歌詞を歌っていて驚かされる。高速でコンコンとピッキングハーモニクスを鳴らすギター(エイドリアン・ブリュートーキング・ヘッズか何かの曲でこんなプレイをしていた気がする)などスピーディな演奏が印象に残るナンバーで、Ingaが高い演奏技術を持った集団であることを印象付けられる。タイトルのOxum(オシュン)とはアフロ・ブラジリアンの民間信仰において崇拝されている神で、河や豊穣を司る女神。この曲はトラディショナル・ナンバーらしく、ネット上でもいくつかのヴァージョンが確認できる。
 

Com Chandra Lakombe「Olha O Coro Do Olorum」

 

7.volunteered slavery instrumental

 
『Volunteered Slavery EP』より。今回の目玉といえるトラック。サムのポリフォニックな奏法に大きな影響を与えたジャズ・ミュージシャン、ローランド・カーク、69年のナンバーのカヴァーである。

1972年、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのローランド・カーク


原曲では、抑制されたドラム、ベース、ホーンのなか「自発的奴隷制が俺を追いまわす」という歌詞が繰り返しチャントされる。ワン・コードのうえで練り歩くかのように延々と楽曲が続くなか、しだいにアンサンブルは「愛こそすべて」のフレーズなどを挟みつつ高揚していく。延々と道を進むかのようなテンポ感、「ズン…ズン…」という足音のようなベースが強い印象を残す。エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従論」(Discourse on Voluntary Servitude)を思わせるポリティカルなリリックも相まって、当時この曲を聴いた者は公民権運動における行進の風景を思い浮かべたでろう。熱量とエネルギーを感じる名曲である。
 
では、Ingaはこの曲をどう解釈したのだろうか。彼らのテイクでは、まずギターがドローンのようにワンコードを鳴らし、ドラムがポリリズミックなフレーズを叩く。そのうえで、サム・ゲンデルは原曲のメロディに即興を加えながらサックスを自由に操っている。それぞれのセクションが音を荒らげることはないが、緊張感を保ってまま静かに演奏は熱を帯びていく。このあたりの展開の持っていき方などはやはりスリントなどポスト・ハードコアポスト・ロック的なものを感じさせる。盛り上がりの後、ゆっくりと息をひそめるかのように演奏が落ち着くと、サムが静かにコルトレーン「至上の愛」のテーマを吹く。数回同じテーマを吹き、楽曲は終わる。
 
トラックそのものも面白いのだが、この曲について面白いのはIngaのトラックのなかで珍しく当時の反応が残っているところだ。Pitchforkは2016年2月9日付のレビューIngaを「Inc.のサポート・ミュージシャンであるサム・ゲンデルのプロジェクト」として同曲をBest New Musicに認定し、下記のようにレビューしている。
Ingaの「volunteered slavery」はオリジナル・ヴァージョンの混沌としてエッジの立った雰囲気を宥和し、楽曲に込められた抗議を瞑想へと変換する。その新しいヴァージョンは、洗練されたR&Bで聞けるようなブラシ・ドラムとファンキーなベースで満ちている。そこには、パット・メセニーの穏やかなスタイルを新世代に改めて提示するようなギター・ソロもある。
Ingaは先達であるカークの仕事をもとにしているが、それは、その音楽を再構築して継続するための、愛に満ちたトリビュートとしてである。スタイルそのものは古いが、そこにあるフィーリングは新しい。
のちの『Satin Doll』などを考えるとき、「再構築」というのはサム・ゲンデルを見るうえで重要なテーマと思えるのだが、既にここでそれに似たことが指摘されているというのは面白い。

 

8.starwater

 
ここからの4曲は、Inga唯一のアルバムである『en』の楽曲が続く。ボサノヴァ的な清涼感のあるコードをギターで弾くのはどうやらサムらしい。ドラムがポリリズミックなフレーズを繰り出すなかで歯切れのよいベースが土台を支え、左右のギターがミュートしたほぼワン・コードのフレーズを繰り返す。そのなかでサムのサックスは自由に泳ぎ回っている。全体にグルーヴィかつマシニックに抑制された演奏で、アンサンブルとしてのたしかな演奏力を感じるトラックだ。しかし、サムが吹くフレーズはどこかイージー・リスニング的なメロディで、とぼけたユーモアも漂う。音色はちょっとオモチャっぽいようなライトな音色で、モーゼス・サムニーのTiny Desk Concertで映っていたソプラノ・サックスではないだろうか?とも思えるのだが、どうだろうか…。
 

9.lonnie's rament

 
サックスとギターだけのシンプルなアンサンブルで、オリジナルはサムにとって重要なアーティスト、ジョン・コルトレーンのナンバー。
「volunteered slavery」と同じく、この楽曲もワン・コード、あるいは循環コードなど少ないコード数でマントラのような単純なメロディを反復し、そのうちにアンサンブル自体が次第に高揚していくようなつくりとなっている。Ingaでは、ジャズにせよブラジル音楽にせよこういったつくりの楽曲が多くカヴァー対象に選ばれている。サムはオモチャっぽい響きのサックス(どこかケーナのようにも聞こえる)でループに乗りつつ、即興を挟み込んでいく。前曲に続き、彼のたしかな技術を感じるトラックでもある。
 

10.Hrmmx

 
ピッキングハーモニクスを用いたイントロから始まるナンバー。左右のギターがシンプルなフレーズを重ねつつ速いBPMでつっこんでいく構造は6曲目の「Mamae Oxum」などとも共通している。正確なピッキングハーモニクスおよびツイン・ギターの単音弾き、機械的に鳴らされるパーカッションなどが「マシーン感」を増していて、超絶技巧といってもいいだろう。ヴァースが5拍子で、キメの部分で6拍子の「キメ」が入る構造はプログレ~マスロックっぽく、ツイン・ギターの絡み合いという点も含めてキング・クリムゾン的な雰囲気も漂う。
 
シンセによるアンビエンスが広がるなか、左チャンネルのギターがボサ・ノヴァ的なニュアンスのフレーズを静かに鳴らしながら終わるエンディングが美しく、4:29ではサムの得意とするミステリアスなリックが差し込まれハッとさせられる。その後のキャリアにこういうはっきりとした変拍子のものはあまりない気がするが、ソロでのいびつなギター・ループにこういう変拍子的センスを感じることはある。サムがリズム・アプローチを模索していたことが分かる面白い音源ではないだろうか。
 

11.Vamp For 16

 
この盤では珍しいスロー・テンポの曲。タメたリズム、どんよりとした雰囲気のリズム隊と冷ややかなトーンのギターがスリントなどポスト・ハードコアの楽曲を思わせる。その上を漂うサムのサックスは若干浮いているように感じなくもない。楽曲自体はさしたる展開もなく終わり、その後こういう曲調のものはあまりないので、サム自身もそれほど手ごたえがなかったのでは?と思ってしまうが、こういう曲もやっていたのかと試行錯誤が見えるようで面白い。また、Ingaポスト・ロックからの影響を改めて確信するような曲でもある(サム以外のメンバーの嗜好という可能性もあるが)。
 

まとめ

 
実のところ、『Inga 2016』で聴けるその音楽性は、現在の不思議に歪んだような音楽とは隔たりがあり、自らのインスピレーションであるスピリチュアル・ジャズ、ブラジル音楽、ブルースなどの要素がわりと素直に表われた楽曲が多いように感じられる。そこで聞かれるサムのサックスは現在のエフェクターを駆使したものとは異なり、クリアな美しい音色で、ときには流麗なインプロヴィゼーションを披露する。
 
同時に、こちらも現在ではあまり披露しないギターを多く演奏しているのも特徴で、サムによればこの時期はサックスに「飽きていた」らしく、自分が慣れていることと違うことに挑戦したかったという(なお、彼がギターを始めたのは大学時代からで、それ以前には演奏経験はなく、ルイス・コールらと同時に習得を始めたとインタビューで答えている)。この後に続く『4444』でもそうなのだが、自らがメイン・ヴォーカルとして歌う曲が多いのも興味深いところ。
 
現在から遡ってみれば、けっこう素直な音楽をやっているなと思う瞬間もあるのだが、演奏者としての卓越した技量が伝わってくるのは興味深いし、カヴァーのレパートリー(ウィリー・ディクソン、ホーギー・カーマイケル、ドリヴァル・カイミ、ローランド・カーク…)に彼のルーツが見えると同時に、古い音楽をそのままプレイするのではない再解釈のセンスがすでに光っていることが確認できる。
 
そして、カヴァーにせよオリジナル曲にせよ多くのトラックに共通するのは「シンプルなコード」「単純なメロディの反復」「しだいに高揚していくアンサンブル」という構造。より茫洋としたサウンドが多くなったソロの活動においても、この基本的な快感原則はサムのソロ作品に通底するものであるように思える(たとえば、ソロではルーパーを用いてこの反復構造が再現されている)。
 
また、ドラム・トラックを取り出すとそこにはしばしばポリリズミックなアプローチがあり、これもサムのソロにおけるリズムマシンの組み方などにしばしば感じる要素である。このように書いていくと、要素として『至上の愛』のようなスピリチュアル・ジャズとの共通点が多いことが分かるし、サム・ゲンデルが(一見テクスチャー的には似ていない)ジョン・コルトレーンの影響を語っていることも腑に落ちるのではないだろうか。
 
今後は、サムがここに見られる個性や関心をどのように発展させていったか見ていきたい。
 

 

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