サム・ゲンデル『Inga 2016』を聴く(1)

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はじめに

折坂悠太との共演、ローリー・アンダーソン曲のリミックスなど、21年も終わりに近づくのにトピックの尽きないサム・ゲンデル。そんな彼の21年の仕事をまとめた「2021年のサム・ゲンデル」、キャリアを時系列順で俯瞰した「サム・ゲンデルとは誰か?」に続き、彼の作品それぞれに迫っていきたい。
 

Ingaとは

サム・ゲンデルの最初期の活動を見るうえで、Ingaというプロジェクトは欠かせない。bandcampなどを通して発表されたIngaの楽曲は近年ほとんどが視聴不能になっていたが、このたびInga 2016』として日本限定でリイシューされ、その音源が聴けるようになったのは「サム・ゲンデルとは誰か?」に書いたとおりである。
 
2015年のサムはルイス・コール率いるKNOWERのサポートに参加するほか、ロサンゼルスを拠点にInc.、モーゼス・サムニー、サム・アミドンといったインディ・アクトのサポートとして参加していた。それと並行し、自らのプロジェクトであるIngaを15年末頃にスタートする。Ingaの活動期間は15年末から16年の短命なもので、アルバム1枚、EP2枚、数枚のシングルをデジタル・リリースしたのみで自然解消した。その活動後期にレコーディングされた楽曲はそのままサム・ゲンデルのソロ名義で『4444』として17年に発表された。
 
そのプロジェクトとしての実態は、サムを中心としてLAの若いミュージシャンたちが出入りするようなものだったらしい。中心的なメンバーはサム(vo、g、sax)、そして南カリフォルニア大学の同窓生である、アダム・ラトナー(el-g)とケヴィン・ヨコタ(ds)というトリオ編成。そこに、ダニエル・エイジド(Inc.のメンバー)、ジョン・キャロル・カービー、サム・アミドンなどが不定期に参加していた。
 

Inga 2016』

さて肝心の『Inga 2016』なのだが、Inga作品のリイシューと言っても一筋縄ではいかず、『en』、『Volunteered Slavery EP』などに収録された楽曲のなかからサム自身が選び、未発表曲を追加しての全11曲という構成になっている。したがって、Inga時代の全楽曲が聴けるわけではないのである。「全曲普通に入れてくれよ」と思わなくもないが、ライナー・ノーツで「インガの純粋なリイシューというよりも、再構築されたインガというのが正しい」とあるように、サムの現在の目線からセレクトされた作品集という性質が強いのだろう。その辺りにも注目しつつ、収録された各曲を聴いていこう。
 

1. weak brain narrow mind (feat. Sam Amidon) / stardust

先述したような不規則な形態のため、1曲目から5曲目までは未発表曲が並ぶ。同名曲が『en』にも収録されているが、これはその未発表テイクで、13分近い長尺。サム・ゲンデルとアダム・ラトナーによるツイン・ギター+ケヴィン・ヨコタのドラムという変わった編成で、ヴォーカルを盟友、サム・アミドンが担当している。 「Weak Brain, Narrow Mind」は、マディ・ウォーターズ「フーチー・クーチー・マン」などで知られるシカゴ・ブルースの名作曲家、ウィリー・ディクソンのナンバーで、88年にリリースされた『Willie Dixon:The Chess Box』という彼の作品集が初出と思われる。そこまで有名なナンバーとも思えないが、こういうものをカヴァーするセンスがまず面白い。そして、サム・アミドンの歌唱や、ヴァイオリンを含んだアレンジによって原曲のバラッド~トラッド的な面が強調され、どこかニック・ドレイクのように聞こえるのも興味を惹かれるところ。

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ウィリー・ディクソン

 
シンプルなフレーズを繰り返すツイン・ギターが絡み合うなかしだいにアンサンブルは盛り上がっていき、イントロでひそやかにフレーズを添えていたサム・アミドンのヴァイオリンもフリーキーな音色を奏ではじめる。そして、リズム・ギターが止むとともに完全な即興演奏に入る。各人が思いのままに楽器を奏で、銅鑼や鈴類が入ってくるなどスピリチュアル~フリー・ジャズの影響を感じるパートである。その喧噪が止むと、ブラシによる静謐なスネア・プレイがはじまる。そして、そこから途切れなくサム・ゲンデルが大ジャズ・スタンダードである「Stardust」の甘いメロディを奏で始める。なんとも意表を突いた展開だ。
 
サムの先が読めないような楽曲構成のセンスはヴァンパイア・ウィークエンド「2021」のリミックスや最新曲「My Little Suede Shose」でも発揮されているが、ここでもすでにそれが表われているといえる。今回のコンピレーションでこのトラックが1曲目に収録されているということから、サムにとっても「自信作」あるいは「現在に通じるものがある」と思える録音なのではないか、と推測する。また、ご存知の通り(?)サムは2020年の『Satin Doll』で、「Stardust」をエフェクターのかかったサックスとリズムマシンによって脱臼的にカヴァーしている。そういうことを踏まえて聴くと、サムがまっとうに甘いメロディを奏でるこの録音との差異はなかなか興味深い。
 

2. lil tiny

これも未発表曲で、1曲目でも印象的だったミュートしたギターのフレーズが印象に残る。リズムがカンの「Vitamin C」などに似ているせいか、どこかクラウト・ロック的な雰囲気が漂っている。ギターがループされるなか、サム自身によるゆるいシンセサイザー・ソロが繰り広げられるが、突如、くぐもったブレイクビーツの入った、何かのサンプリングと思われるパートが入ってきて楽曲は終わる。ビートスイッチ的な展開で、ヒップホップからの影響を感じる部分である。
 

3. POG Acoustic

未発表曲。アコースティック・ギターとエレクトリック・ギターを重ねたアンサンブルのなか、サムのつぶやきのような細かく平坦なヴォーカルが続く。クレジットによると、すべての楽器をサム自身が演奏したトラックのようである。ホワイト・ノイズが乗り、ギターがつっかえるところもそのまま入ってるなどかなりラフなトラック。サムのギター・スタイルは指弾きに、ときおりピッキングハーモニクスを挟み込んでいくスタイルで、終盤でパーカッシヴな演奏に入る表情の付け方など、ギタリストとしての技術を感じさせる。
 

4. constellations

未発表曲。サム自身が鳴らすピッキングハーモニクスを左右チャンネルに重ね、ベース代わりに(おそらくサム自身の)「ブン」というドゥーワップのようなヴォーカルを入れるという実験的なトラック。どこかシカゴ音響派ポスト・ロック的な雰囲気も感じるが、それらの整然としたサウンドに比べてこの曲はずっとラフである。前曲に引き続いてデモ・テープ的なトラックなのだが、現在の茫洋とした音楽性に一番近いのはこの曲かもしれない。サムは裏声を使ったヴォーカルで取り留めなく歌い、延々とループを繰り返したあと楽曲は終わる。
 

5. nana(traditional)

同名曲が『en』に収録されているが、これはその別テイクで未発表音源。ドリヴァル・カイミ「Canto De Nanaを引用したフレーズをサム・ゲンデルが歌い上げる。この曲をサムに教えたのはファビアーノ・ド・ナシメントで、両者は何度もこの曲をともに演奏している。中盤から入ってくるサムのサックスが美しい。

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サム・ゲンデルとファビアーノ・ド・ナシメントによる「Nana」(https://www.youtube.com/watch?v=q2zVrXGmVLw&t=71s&ab_channel=FabianodoNascimento
 
 
ここまでが、今回発表された未発表曲・未発表テイク5曲となる。6曲目からは『en』『Volunteered Slavery EP』などに収録され、リアルタイムで発表されたトラックが並ぶことになる。(パート2につづく)
 

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