サウンド・マン自らの仕事を語る

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グリン・ジョンズ著・新井崇嗣訳『サウンド・マン~大物プロデューサーが明かしたロック名盤の誕生秘話』シンコー、2016年。

ローリング・ストーンズエリック・クラプトンイーグルスザ・フービートルズ、クラッシュなどにかかわったエンジニア/プロデューサー、グリン・ジョンズが自らの50年以上にわたるキャリアを振り返る

 

ロックから空前絶後の名録音が生まれていた60、70年代。エディ・クレイマーやジェフ・エメリックと並び、もっとも重要なエンジニア/プロデューサーがグリン・ジョンズだ(ローリング・ストーンズの『ブラック・アンド・ブルー』までの全作品に関わったといえば説明は十分だろう)。彼は、「レコード・プロデューサーとは具体的に何をする人なのか?」という問いに簡潔に答える。

 

わたしの答えは、「意見があること、そしてそれを誰にも負けない説得力をもって表現できるだけの自負心(エゴ)があること、必要なのはそれだけですよ」。(4頁)
 
伝説的プロデューサーによる、いやでもわが身を顧みさせる鋭い一言だが、そのあと(自らも)新しいプロジェクトを始めるたび、お里が知れてしまうのではないかと思う」と続き、少しだけほっとさせられる。
 
この一文に集約されているように、ジョンズのプロデュース/レコーディング観は細かなテクニック以上に、スタジオ内での人と人との関係性やコミュニケーションを重視するものだ。ジョンズの丁稚時代のエピソードを読んでいると、まずスタジオ作業の中で人がスタジオ内でどのようにかかわり、何を欲しているかを観察して学んだといい、これが彼の基礎となっていることが分かる。(「レコーディングの過程は魅力的であったものの、それよりも音楽とそれを作る人たちの方がはるかに興味深かった」
 

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グリン・ジョンズとミック・ジャガー(1969年)

 
あくまでスタッフの一員としてミュージシャンを助ける、という立ち位置から、ジョンズは「エンジニアが魔法のようなテクニックで名録音を生み出す」というような幻想を否定していく。彼がかかわったレッド・ツェッペリン1』についても「あくまでミュージシャンが産み出したものであり、いかなる革新的レコーディング過程の産物でもなかった」(199頁)、「わたしがしたのは彼らが繰り出すものを忠実にテープに収めるよう努めただけ」(138頁)と謙虚だ。
 
マニアの間で活発な考察が行なわれている「グリン・ジョンズ・テクニック」(マイク3本でドラムの音を捉える録音テクニック)についても、ジョンズは次のように突き放す。
 
そもそも、大方の予想に反して巻き尺は使ったこともないし、そんなに厳密なものじゃない。常識を用い、うまくいくと信じ、ドラム・セットと目の前でドラマーが供しているバランス、そしてそのドラマーが叩いているものに応じて微妙に調整する。それだけの話だ。(140~141頁)

 

どのようなコンソールが使われ、どのようなマイクが使われ…と、個々の要素を分解して考察することは重要だが、それらを足し合わせたところで『レッド・ツェッペリン1』になるわけではない。スタジオでは、そこにいるミュージシャンの相互反応や、そこで立ち上がってくる音にしっかりと反応することの方が重要なのだろう。
 
このような考え方からジョンズは、スタジオの空間的特性から離れ、オーヴァーダブが中心となる現代的レコーディングを批判している。
 
すべてを一時に録るしかなかった時代に始めたものとして、わたしはミュージシャン同士が演奏する相互作用の重要性を忘れたことがない。これはごく微妙なこともあるし、基本的にはそばで他人が奏でているものに対する意識下での感情的反応でしかないのだが、そのミュージシャンはこの時、自らのプレイで他者に同様の影響を与えてもいる。

しかし、既存のトラックに自身のパートをオーヴァーダブする場合、こうした相互的反応は起こりえない。後から演奏を加えるミュージシャンは、自分が重ねているものから影響を受けるだけだ。

(199~200頁)

 

むしろ70年代後半以降はニュー・ウェイヴやヒップホップなど(ここで批判されているような)スタジオ空間やミュージシャンの生演奏に依拠しないプロダクションが極端化することでまた別の美学を形成したといえるが、それでも、いまだに『メインストリートのならず者』『ハーヴェスト』といった70年代の肉感的な生演奏、楽器の生々しい鳴り…といった要素に惹かれる聞き手・作り手にとっては、上記の内容には納得できるところがあるだろう。
 
特に、本書が刊行された2015年以降に生まれた音楽、たとえばブレイク・ミルズサウンド・シティ・スタジオで生み出している音楽を聴いていると、ある意味で「グリン・ジョンズ的美学」は再びヴィヴィッドなものになっているような気がする。また、ロック/R&Bの伝説的録音はエンジニアによって計算しつくされたスタジオからではなく、アトランティック・スタジオやオリンピック・スタジオなど劇場やアパートの一室を改築したスタジオから生み出されたという彼の指摘も、宅録時代にはまた別の示唆をもってとらえられることだろう。