「名盤」とは何か?:ダイ・グリフィス『OKコンピューター』

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 ダイ・グリフィスはイギリスの音楽学者・ジャーナリストであり、現在オックスフォード・ブルックス大学で専任講師として音楽学を教えている。過去の実績としては本書に加え、エルヴィス・コステロを扱った書籍がある。本書は歴史的なアルバムを1枚扱って分析するという『33 1/3』シリーズの中の1巻として2004年に刊行された。
 
 グリフィスによれば『OKコンピューター』はきわめて早く「名盤」として認定されたアルバムである。この書籍が刊行されたのが04年であり、アルバムの発表が97年なので、わずか7年の間ですでに『OKコンピューター』について歴史的名盤としての位置付けがなされたということになる。とはいえ、グリフィスの分析はいかに『OKコンピューター』が偉大であり、いかにリスナーやアーティストに影響を与えたか…というところには移らない。分析はあくまでアルバムという地平に(頑固に)留まることになる。
 
 本書は『OKコンピューター』論としては奇妙な構成を持っており、全体の 1/3ほどが「アルバム論」に割かれることになる。特にグリフィスは『OKコンピューター』がCD時代のアルバムであることに強く着目する。33 1/3回転のLPからCDへとフォーマットが移行する中で、その連続再生時間は20〜30分程度(LP片面)から74分に増加した。それに伴い、その増加分をいかに埋めるべきかミュージシャンは苦心し、長尺曲の増加、アルバムの曲間を埋めるスキットの増加…など、様々な帰結を導いたという。
 
 『OKコンピューター』も、もちろんCDというフォーマットを前提としたアルバムであり、60分近いアルバム尺、6分を超える長尺曲など、CD時代のアルバムとしての特徴を(部分的に)備えている。またサウンドテクスチャーにおける統一感を持った一種の「コンセプトアルバム」として見なすことができる。(トム・ヨークはこのアルバムの曲順を決定するのに2週間あまりを費やしたという。)
 
 楽曲分析については、グリフィスの分析は比較的慎重なもので、極端な深読みや曲同士の関連性を見出す試みは行われていないと言って良い。また、グリフィス自身は本アルバムのサウンドエフェクトの使用などについてはそれほど興味を惹かれないようで、オーソドックスな和声分析にてアルバムを見ていくが、意外にもその分析で「語れてしまう」ところにこのアルバムの性質が現れているような気がした。
 
 本書の最後の章でグリフィスは『OKコンピューター』は “クラシックなアルバム”としての地位を保つのだろうか?という挑発的な問いを投げかける。しかしその答え自体は問題ではなく、それと同時に投げかけられる“クラシックなアルバム”ってそもそも何なのか?という問いかけの方がより重要であり、本書を通じた問いとも言える。
 
 「アルバム」というフォーマットに対してわれわれはどのように統一性を見出すのか?あるいは見出さないのか?『リボルバー』(1966) と『ブロンド』(2016) は全く違うメディアで発表され、聴取された(33回転LPとストリーミング)がそれは同じ “アルバム”と言えるのか?それらに対して「名盤」の評価を下すとはどういうことなのか?アルバムというまとまりがもつ権威性が薄れてきたとはいえ、メディアや音楽ファンが打ち出す「年間ベスト」ではいまだにアルバムというまとまりが基本単位となりその優越をもとにランキングが作られる。そこでわれわれが比較しているものとは何なのか?
 
 むろん、アルバムがあればあるだけその個性があり、すべてのアルバムはすべて異なる…と言うことも可能だろう。そのように考えるならば、本書が第一章で行おうとするようなアルバムの位置付けを巡る議論など不可能ということになる。厳密に言えば、おそらくその通りなのだろう。だが、本書は(いささか大袈裟に言えば)その不可能な問いに対して誠実な整理を行おうとしているように感じ、そこに好感を抱いた。本書が行った問いかけは「アルバム」を評価する上での道標となるだろう。
 
 また、面白かったのはSPからLPへ、そしてCDへ…とフォーマットが移行する中でミュージシャンや評論家がどう反応したかという部分である。たとえばキングズリー・エイミス(50年代に活躍した作家)はLPレコードの発明はジャズにとって「おそらく致命的な一撃」であり、「78回転のレコードの三分強の長さから引き出される集中力と簡潔さが消える」と考えた(24頁)というが、これと似たような議論をわれわれはストリーミングを巡って毎日見ていないだろうか?(ストリーミングはアルバムというフォーマットを失わせた etc...)こういったフォーマット変遷において起こった変化をおさらいすることは、今後のストリーミングなどをめぐる変化を検討するうえでの指標となるのではないか。
 
 もう一つの関心としては、この書籍が「2004年の」「イギリスで」書かれたということだろう。そのポジションが当然ながら本書には強く現れている。つまり、当然ながらイギリスの音楽ジャーナリズムを中心とした視点なのだ。たとえば、本書巻末に参考で挙げられた「年間ベストリスト」はNMEとMMという二誌によるものだが、近年を振り返ってみれば、これらの雑誌の基準はもはや重要と言えるだろうか?また、終盤で軽く触れられているが、その名盤リストがまごう事なく「英語圏の」「白人の」「男性」のリストであることについても、今ではより強い批判の対象となることだろう。
 
 次の問いは、そういったイギリス中心のジャーナリズムについて(それがグローバルな影響力を失ったように見える今)その美学的・批評的な中心となったものが何だったのかを明らかにし、それがいかに「権威」とみなされるようになったかを歴史的に分析することではないだろうか。果たして、その過程の中で『OKコンピューター』の地位は変化するだろうか? おそらくそれはこれからの10年にかけて分かることだろう。
 

 

レディオヘッド/OKコンピューター (ele-king books)

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