「シティポップ論文」ざっくり書評

 

1.論文

ポピュラー音楽のジャンル概念における間メディア性と言説的構築ー「ジャパニーズ・シティ・ポップ」を事例にー
 
下記リンクにてpdfをDL可能↓
 

2.筆者について

モーリッツ・ソメ (Moritz Sommet) はスイス、フリブール大に勤務する日本学の研究者。2005~6年に上智大に留学の後、ケルン大学にて修士号を取得している。2019年に、石原慎太郎ほか日本の近代文学者とポピュラー音楽との相互作用を扱った博士論文 “Mediale Interferenzen : Literatur und Popmusik in Japan  (1955-2005)"を提出。
 
本論文は2017年のヨーロッパ研究協会第15回EAJS会議に提出された英語論文で、翻訳にあたって19年に執筆された新規原稿を「6章」として収録している。(書評論文より)
 

3.歴史的整理

80年代以前 「シティ・ミュージック」
(77年、『ヤング・ギター』)
 
80年代 「シティ・ポップ

(81年、読売新聞)

 
00年代 「シティ・ポップリバイバル
 
テン年代 新しい「シティ・ポップ
  •  ceroなど。必ずしも70年代、80年代のものを参照はしていない
 

4.結論

シティ・ポップ」というジャンルは、音楽的特徴や当時の売り出し方などよりも、むしろ言説の領域で形成されている。70年代からテン年代の間に「シティ・ミュージック〜シティ・ポップ」と呼ばれたものに音楽的な一貫性を見出すのは難しいが、それを語る “言葉”は一貫している(「都会的」「洗練された」「日本の」など)。そのようなあり方は、意味性が変質しながらも残っていく「ジャンル」というものについて分析する際の興味深い対象となる。

 

5.重要概念

間メディア性
一般に「音楽的特徴」と言われるところから離れた、たとえばアルバムジャケットやPV、さらにはそれについての語りなどの複合としてその音楽の「意味」が立ち上がってくるとする。特に、イェンツ・シュローターは存在論的間メディア性」をとなえ、間メディア性は最初からメディアの本質として存在するものであり、それを分離することは「意図的・制度的に引き起こされた封鎖、切断、排除のメカニズムの帰結にすぎない」(33頁)と示唆しているという。
 
 

6.感想・個人的に面白かったところ

“間メディア性”の有効性について
先行研究を追ってないので何とも言えないが、一見すると、音楽を聴くときにはジャケや、音楽評論に影響を受けますよ・・・という程度の話と思えるところもある。文学理論としての間テクスト性」(Intertextuality)というのは結構昔からあって、「作者の死」とか「書物は複数のメディアによって統合された織物である」とかいうことは結構言われていた気がするが、それをポピュラー音楽に援用したということなんでしょうか。ポピュラー音楽の場合、より多数のメディアが重層的に存在するため、書物以上にその分析に適している感じもしますが。たしかに、「音楽ー歌詞」「音楽ー映像」「音楽ー音楽についての言説」などの“間”を同時に扱うという手法は、時代を経た“ジャンルの再文脈化”や再評価の過程などを追う際には有用かもしれない。
 
ヤマハ人脈
加藤賢の書評論文でも触れられているが、このヤマハ出身者たちが80年代の「シティ・ポップ」言説の中で中心的な存在というのは面白かった。ロック中心の批評においては、一般的にヤマハ文化的なものは「ストリート出身の天才」などに対して(笑)低く見積もられがちな気はするが、再検討の必要はあるだろう。とくに「シティ・ポップ」文脈で見るとヤマハ人脈の存在がぐっと増すのが面白い。また、海外での評価が国内に対して相対的に高いように見える(松下誠関連のYouTube再生数等)ところも、色々と示唆するところが多いような気がする。むろん「ヤマハ文化」といっても、幼少期にオルガンを習っていた…とかまで含めるとめちゃくちゃ広範になってしまうので難しいところはあると思うが…。
 
シティポップ、意外と都市のこと歌ってない問題
これは前から思っていたが、都市からリゾートへの「移動」という環境に着目して論じていたのは納得感があった。「音楽」と「移動」というテーマは広がりがあり、また同時に一般的な批評において抜け落ちやすい部分でもあるため興味のある部分である。
シティ・ポップ・アンセムである大貫妙子の「都会」も、実は 都市を肯定的に描いたものではなく“都会批判”の歌だったりする)
 
ロンバケ』問題
はっぴいえんど人脈の80年代の成功として、松本隆の歌謡曲詞の話をしているが、日本人研究者がこの話をするとしたら、まずはその松本が関わっている『ア・ロング・バケイション』の話をするのではないか? 永井博によるリゾート的なアートワークなど、はっぴいえんど人脈と80年代型「シティ・ポップ」を接続する強い根拠になっている気がする(証拠というほどではないが、シティポップ系のディスクガイドなどでは必ずと言っていいほど「大枠」で解説されている)。
 
だが「ロンバケ」の難しいところとして、実は音楽的には一般的にイメージされる80年代型「シティ・ポップ」の特徴を持っていないということがある。テンションコード・16ビートなどAORフュージョンの要素は乏しく、むしろ50,60年代ポップスからの参照が目立つ。(ソメはそれを意識してか?80年代型シティポップは「非日本的」という特徴を共有する…と言うに留めている)また、日本国内でロンバケは「聖典」的な立ち位置となっているが、海外での評価は(現時点では)それほどでもないのも、松下誠などとの対比において興味深い。ソメの論考においても、それほどのウェイトは割かれていないような気がする。
 
逆に、日本国内でなぜ「ロンバケ」はあれほど、大滝詠一のカタログにおいても “別格”の扱いと言ってもいいほど、聖典化されているのか?という方を問い直す必要がある気がする。
 

7.概観

シティ・ポップ」についての議論は往々にして混乱しがちだが、ソメの論文を読めば、70年代の「シティ・ミュージック」と80年代の「シティ・ポップ」に実は関連性が薄い上、ゼロ年代の再評価を経たテン年代の「新しいシティ・ポップ」(ceroなど)も、必ずしも70,80年代のものを参照していないという、このぐちゃぐちゃぶりが大きく影響していることが分かる。ソメの論文は、間メディア性の理論を用いてシティ・ポップについてのコーパスを追う中で、明解にシティ・ポップというジャンルの“破綻”を説明しているようにも思える。
 
Holtなどが言うように「ジャンル」というものは多かれ少なかれこういう破綻を抱えているというか、程度の差はあれ後からでっちあげられたものなのだ…ということを思わされる。「でっちあげ」のものだから存在しないかというとそうではなく、リスナーはその系譜を頼りにして音楽を聴き、ミュージシャンはそのジャンルに反発するにせよ、それを理想化するにせよ、そのイメージの 「痕跡(traces)」を受け継いで次の音楽を作っていく。
 
さらには、海外という「外」からの視点もジャンルの存在感を強化する。今や世界的に「city pop」は「J-POP」よりも多く言及される単語となったというデータもあるそうだが、そうなってくるとますます日本国内のミュージシャンにとって「city pop」の語がセルフイメージにおよぼす影響というのは大きくなってくるのではないか。
 
シティ・ポップはここにきて「外国人にもアピールできる希少な邦楽」として日本国内の聴衆向けに再パッケージされ、再発されることになった(中略)2018年後半から2019年の初頭にかけてのたった数ヶ月間で、歌手の田中裕梨やDJのtofubeatsを含む複数人の日本人アーティストが「プラスティック・ラブ」のカヴァーバージョンを製作した。平成を超えてなお、シティ・ポップがジャンルとして進化を続けていくとすれば、それはきっと「逆輸入品」としての進化になるだろう。(37頁)
 
ここまで書いてきて、「ジャンル」形成の過程は、実のところ「歴史」形成の過程とニアイコールなのではないか?と思えてきたが、そう考えるとこの問題の射程がよく分かるのではないだろうか。ソメがこの論考で用いた「間ジャンル性」の概念は、このようなジャンル形成を分析する際に有用な枠組みを提示してくれるかもしれない。