記事紹介:Pitchfork Album Reviews(The KLF『Chill Out』)

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The KLF: Chill Out Album Review | Pitchfork
 
「絶対にサブスク解禁されないアルバム」ことThe KLFの『Chill Out』をピッチフォークがSunday Reviewsで取り上げていて面白かったので紹介します。Sunday ReviewsはPitchforkのレビュー企画で、毎週(?)日曜日に過去のアルバムをrevisitするというもの。選盤が絶妙で、面白いレビューが多いです。
 
The KLFはビル・ドラモンドとジミー・コーティからなるイギリスのユニット。
ビートルズABBAの楽曲などの無断サンプリングをはじめ、札束を燃やすなどのパフォーマンスなどでもセンセーショナルな話題を呼んだ。1987年にデビュー・アルバム『1987 (What the Fuck Is Going On?) 』(The JAMs名義)を発表し、
1990年に『Chill Out』を発表した。同アルバムは"アンビエント・ハウス"というジャンルを確立した名盤と評価されている。
 
レビュー寄稿者はPhillipe Sherburne。バルセロナ在住のライターで The Wire、SPIN、Resident Advisorなどに寄稿している。
ピッチフォークではインディロックやエレクトロニカ系のレビューをたくさん書いているイメージ。
 

 

1.

このレビューは、現代音楽家であるジェイムズ・テニー(James Tenney)が「Collage #1」(1961) を発表したところから話を始めている。 「Collage #1」はエルヴィスの歴史的なシングルである「Blue Suede Shoes」のテープを切り刻み、テンポを上げたりテンポを下げたりすることでコラージュ化した作品である。ドローン的な音響の中で、エルヴィスの声は彼と分かるところと判別不能なところの境界を延々と行き来する、このサウンドスケープは今聴いても斬新で興味深い。「エルヴィスの声」というモチーフはレビュー全体の重要なキーとなっている。

 

2.

続いて、1985年のジョン・オズワルド(John Oswald)の講義から「Plunderphonics」 (略奪的音楽…とか訳せばいいんだろうか)という概念が紹介される。これはヒップホップの勃興と深く結びついた概念で、ターンテーブルサンプラーによって「レコードが楽器となる」ことの衝撃から生まれた考え方であると言える。オズワルドは、 “創造的なサンプリングは「元ネタ」を貶めるものではない”と主張し、テニーの「Collage #1」を「優れた借用」の例として紹介する。「Collage #1」は、エルヴィスの録音の本質をとらえつつ、その聴き方を拡張するのである。
 

3.

この2年後、ビル・ドラモンドとジミー・コーティのThe JAMsというユニットが「All You Need Is Love」というシングルを発表する。このシングルは文字通りビートルズの楽曲とMC5の「キック・アウト・ザ・ジャムズ」を無断サンプリングしたもので、センセーショナルな話題を呼ぶことになる。その後もドラモンドとコーティはABBAやテレビ音楽のテーマ、ゲイリー・グリッターの無断サンプリングなどで話題を振りまいていく。そして、1988年には自らを"KLF"と名乗るようになる。(本人たちから明言されたことはないが「KLF」が「Kopyright Liberation Front」(著作権解放戦線)であるという噂は常に囁かれていた)
 
4.
The KLFは「What Time is Love?」「3 A.M. Eternal」「Last Train to Trancentral」といったシングルを発表したのち、1990年に『Chill Out』(1990) を発表する。ピンク・フロイドフリートウッド・マック・・・といった無許可サンプリングの数々はThe JAMs時代と変わらなかったが、カットアップ的な荒々しさとナメたユーモア感覚が特徴だった初期作品に対して「Chill Out」には静的なアトモスフィアがあった。そこには明確なビートはなく、延々と続く環境音のなかでさまざまな音が浮き沈みする。
 
5.
アンビエント・ハウス」という有名なコンセプトは、当時としては矛盾したものだったという。ハウスは身体的なダンスミュージックであり、アンビエントは抽象的で非ダンス的なものだったからである。KLF自身の説明によるとアンビエント・ハウスは「パーティで12時間夜通しで踊り続けて、朝に現実に戻るための必要なもの」であり、(肉体的・精神的・お薬的に)アッパーなレイヴの副産物として生まれたものであるという。
 
6.
『Chill Out』ではすでに「楽曲作品」と「DJミックス」の境界はあいまいになっている。ドラモンドとコーティは2台のDATデッキとターンテーブルカセットデッキ、ミキサーを使ってこのアルバムを作りあげた。まずシンセパッドを用いて延々と20分以上ジャムをレコーディングし、そこに載せる形で既存のレコードやテープを再生し、重ね録りを繰り返していく。
 
7.
緻密な作業という印象を受けるが、実際のところレコーディングは「アナーキーな魂」によって突き動かされる自由なものだったという。たとえばある朝、ドラモンドはラジオから流れるエルヴィス・プレスリーで目覚めた。彼はそのままレコード屋に走り、エルヴィスのベスト盤を買い、代表曲である「In The Ghetto」(1969) をその日のうちに"録音"した。われわれはそれを『Chill Out』の「Elvis on the radio, steel guitar in my soul」のパートで聴くことができる。
 
8.
著者は『Chill Out』の特徴を、KLFの初期の作品と比較しながら次のように表現している。
 
KLFの初期シングルは、ヒップホップの手法を用いてポップス、さらには消費文化を皮肉ろうとする一種の「カルチャー・ジャミング」だった。『Chill Out』において、彼らはその手法を違う方向に用いた。より穏やかで、より強靭で、よりサイケデリックな方向にである。ぼんやりした靄のなかで、もとの素材はどんどんとその見え方を変えていく。
 
JAMsがエルヴィスを(彼のメディア・イメージである)あの腰つきや派手なステージ衣装、ドラッグ問題の方向からとらえていたとしたら、『Chill Out』はエルヴィスを、そのヴォイスや情感、そして録音に漂う幽玄な雰囲気・・・といった方向からとらえ直した。KLFの「チル・アウト」というコンセプトのなかには、単に受動的にぼんやりすることではなく、既存のイメージを捨てて物事をとらえ直すような、意識を切り替えるような感覚があった。

 

9.
『Chill Out』以降、アンビエント音楽はニッチな世界を飛び出し、「睡眠用プレイリスト」や「サウンドバス」のようなところまで広がった。今日では「チル」の概念はかなり広まったが、著者の考えとしては、ドラモンドもコーティも、受動的で、ムードをライフスタイル的に商品化したようなものには関心を示さないだろう。
 
以上
 
以下雑感
 
KLFという名前を聞いた時に思い浮かべる著作権問題や資本主義批判的な面、スキャンダラスな面と、「チル」の名盤とされる『Chill Out』がどのように繋がるのだろう?という疑問を以前から抱いていたため、この文章は面白かった。ジョン・オズワルドの「Collage #1」評を導線としつつ『Chill Out』の(あるいはエドモンドとコーティにおける「チル」という言葉そのものの)ラディカルさを指摘するところは、著者の主観が結構入ってるような気がするとはいえ読みとしてはなかなか面白い。
 
「Plunderphonics」(略奪的音楽)というコンセプトはこの文章で初めて知ったが、いかにもあの時代のものというか、今読むとヒップホップ聴いてみんなびっくり!というのをいろいろ理屈つけて思想化した…という感じを受けてしまう。その一方で、「優れた借用が新しい読みを提示する」という考え方自体は別に新しくもないが古びてもいなくて、オズワルドの講演から25年経ってもヒップホップやサンプリングはいまだに面白いというのはなかなか驚くべきことな気もする。一時は「サンプリングヒップホップの死」みたいなこともよく言われたが、いまだに面白いものは多いので。
 
既存の録音の借用からトラックを作るヒップホップが「コラージュ」という概念と切り離せないのは当然といえば当然だと思うが、最近JPEGMAFIAのアルバムなんかを巡ってこの「コラージュ」という言葉を聞くことが多くて気になっている。これについての考えは特にまとまっていなくて、たとえばStanding On The Corner周辺の音楽を聴いていても、90sのサンプリングヒップホップとそんなに変わらないじゃんと思うものと、何かが違うような気がするものがあって、その差は何なんだろうかと思っている。
 
今思いついたんだけど、それは “定型のビートに添ってるかどうか”ということろに左右されるものが大きいのかもしれない。ビートレスでサンプル主体のもの…となると、ますます『Chill Out』的な世界に近づいていく気もするが、「アンビエントR&B」以降だったらこのアルバムからのサンプリングでトラック作ってもスルッと市場に乗りそうな気がしませんか?そうでもないかな。