目次
0.これまでのあらすじ
カリフォルニア出身のキーボーディスト/プロデューサーであるミッチェル・フルーム は70年代よりロザンゼルスの音楽シーンにかかわり、サポート・ミュージシャンやインディ・バンドのプロデュースにかかわっていた。そんななか、デル・フエゴスのレコーディングを通してエンジニアのチャド・ブレイク と出会い、意気投合する。この二人がかかわったクラウデッド・ハウスの1stアルバムは大ヒットを記録する。
VIDEO 『ラ・バンバ 』(1987)映画トレイラー
ハックフォードはこの時期ロックンロールのルーツに強い興味を感じており、50年代のオリジネイターの一人、
リッチー・ヴァレンス を題材にした映画の制作に乗り出した。
*1
ロス・ロボス は
イース トLA出身のバンドで、デイヴィッド・イダルゴ(vo)とルイ・ペレス(ds)というラテン系のメンバーを中心に73年に結成された(
ロス・ロボス は“狼たち”を意味する
スペイン語 )。当時高校生だった彼らは
ライ・クーダー やフェアポート・コンヴェンションといったルーツ回帰的な音楽への興味を共有し、自らも、幼少期に聴いていた伝統的なメキシコ音楽を取り入れたスタイルで活動を行なっていた。
ロサンゼルス内の結婚式やダンス・パー
ティー などで盛んに演奏するほか、83年にはEP
『…アンド・ア・タイム・トゥ・ダンス』 をリリース。このEPでは、マリアッチやテハノ・ミュージックと呼ばれるメキシコ系音楽でよく用いられる
アコーディオン が取り入れられており耳を引く。EPは評論家の話題を呼び、収録曲の「アンセルマ」は
グラミー賞 の<ベスト・メキシカン/
アメリ カン・トラック>を受賞した。
次いで84年にはファーストアルバムの
『ハウ・ウィル・ザ・ウルフ・サヴァイヴ?』 をリリース。EPに引き続きメキシカン・ルーツを強く感じさせる内容だが、オープニングの「ドント・ウォーリー・ベイビー」でヘヴィなエレキ・ギターが導入されているのが、単なる「ルーツ回帰」ではない彼らの個性を象徴しているように感じる(のちの作品『Kiko』にて、この特性は開花することになる)。そのような音楽性もあり、
ロス・ロボス は
ザ・クラッシュ のLA公演の前座を務めるなど、一般的なロック・ファンの間でも
知名度 を高めていく。『
ラ・バンバ 』
サウンド トラックへの参加はこのようなタイミングの出来事だったのだ。
「カリフォルニア出身のチカーノ」という共通点のほか、
ロス・ロボス の起用の一つのきっかけになったのではないか?と思われるのが『…アンド・ア・タイム・トゥ・ダンス』に収録されたヴァレンスのデビュー曲 ‘Come On, Let’s Go’のカヴァーである。ギター・ソロまで含めてかなり58年の原曲に忠実なカヴァーで、強いリスペクトを感じる演奏である。ライヴ盤
『ライヴ・アット・メトロ、シンシナティ ・オハイオ 、1984 .12.10』 では、同曲のライヴ演奏を聴くことができるが、次のようなMCを行なったあと、演奏を始めている。
Ritchie Valens&Bob Keane (1958)
カリフォルニアはもともとメキシコ領に属し、1846~48年の
米墨戦争 にて
アメリ カ領に
編入 されている。このような経緯からも分かるように、メキシコ文化とのかかわりが非常に深い地域である。州全体で
スペイン語 話者が占める割合は人口全体の30%程度を占め、特にロサンゼルス、サンディエゴといったメキシコとの国境周辺ではラテン系
アメリ カ人の割合がかなり高い。過去の統計によればロサンゼルスで暮らすラテン系人口は480万人を超え、これは実に郡全体の人口の約50%にあたる。
*2
バレンスエラ は幼いころから
R&B やロックンロールと同時にメキシコ音楽、フラメンコなどに親しんで育った。やがて彼は歌とギターに才能を見せ、16歳の頃には「サンフェルナンドのリトル・リチャード」と呼ばれて評判を得た。1958年にはキーン・レコードと契約し
‘Come On, Let’s Go’ でデビューを果たす。レコード発売の際、キーン・レコードのオーナーであるボブ・キーンは、DJが「
バレンスエラ 」の名前を見て ‘Come On, Let’s Go’をラテン・レコードに分類することを避け、芸名を考案した。50年代ロックンロールのオリジネイターの一人、
リッチー・ヴァレンス の誕生である。
VIDEO
Ritchie Valens 'Come On Let's Go'(1958)
同曲を聴いて印象に残るのはハイトーンで歪んだヴァレンスのヴォーカルと、同じく歪んだトーンでかき鳴らされるエレキ・ギターである。そのがらっぱちな破壊力を持った
サウンド はまさしくロックンロール・エラにふさわしいものであり、若者を熱狂させるに十分だったと想像される。曲調にせよギター・フレーズにせよ、先行するスター、
バディ・ホリー (彼もまた、テックス・メックスと呼ばれるメキシコ系音楽の影響がしばしば指摘されている)を強く連想させるものだが、間奏において深いリヴァーブのなかで奏でられる妖しげなフレーズは、現在に至るチカーノ・ロック作品から遡って聴くと、どこかラテン的なものを思わせなくもない(先入観はあると思うが)。
*3
VIDEO Ritchie Valens 'Donna'(1958)
‘Come On, Let’s Go’に続く2ndシングルの
‘Donna’ は一転して美しいロッ
カバラ ードで、ヴァレンスのヴォー
カリスト としての魅力が強調される。同曲はラジオ・プレイも好調で、ヴァレンスの若手ロッカーとしての存在感は増しつつあった。しかし1959年2月3日、
バディ・ホリー のツアーに参加中に、リッチーおよびバディ、ビッグ・ポッパーの乗ったヘリコプターが墜落。搭乗者の全員が死亡した。「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)として長く記憶される惨事であるが、このとき、ヴァレンスはデビュー後わずか8か月、年齢わずか17歳だった。
VIDEO Ritchie Valens 'La Bamba'(1958)
死後、‘Donna’が全米2位まで上昇するとともに、そのB面であった
‘La Bamba’ も
ビルボード ・チャート22位までチャートを上昇する。同曲はメキシコ民謡をロック調にアレンジしたもので、
スペイン語 の歌詞で全米トップ40入りしたものはこれが歴史上初とされている。
*4
彼の死後、
ハリー・ベラフォンテ やトリニ・ロペス、
グレン・キャンベル 、ニール・ダイアモンドなど数多くのミュージシャンにカヴァーされ、同曲はスタンダード・ナンバーとなっていった。ヴァレンスの音楽は
サンタナ などに影響を与え、尊敬の対象となっていく。
アメリ カ外では、当然ながらラテン・
アメリ カ圏のロックに彼が与えた
インパク トは大きく、最近話題を呼んだ
Netflix のドキュメンタリー『魂の解放:
ラテンアメリカ のロック史』でも彼の名前が初頭に挙げられ、その重要性が強調されている。
チカーノ文化の再検討自体ここ数年盛んな流れであるが、ロック/
R&B 史におけるその重要性についてはルーベン・
モリー ナ著・宮田信訳『チカーノ・ソウル~
アメリ カ文化に秘められたもうひとつの
音楽史 』が詳しく、戦後間もない時期の「パチューコ・ブギー」(1948)から、リーバー=ストーラー(
エルヴィス・プレスリー 、コースターズの楽曲で知られる作曲家コンビ)作品に欠かせないホーン奏者、ギル・ベルナルや、チャンプスの大ヒット・インスト曲「
テキーラ 」など、しばしば白/黒の二項対立で語られる米
R&B 史において、つねにチカーノが重要な存在として位置していたことを示唆している。もちろん、その流れにおいて
リッチー・ヴァレンス はロックンロール史においてはじめて全国規模での成功をおさめたチカーノとして大きな存在なのである。
4.ロス・ロボス とミッチェル・フルーム、その出会いとは?
そんな彼の人生を描いた映画『
ラ・バンバ 』において、
ロス・ロボス はそのレパートリーを見事に演奏した。特に主題歌の‘La Bamba’は、映画の好評とともにチャートを駆けのぼり、87年夏に3週連続全米1位を記録する大ヒットとなった。同曲のクレジットにはプロデューサーとしてミッチェル・フルームの名前が載っている。前年のクラウデッド・ハウス「Don't Dream It's Over」に続き、彼はまたしても大ヒット曲にかかわったことになる。そうすると“
ロス・ロボス とミッチェル・フルームはどのように出会ったのか?”というのが気になるところだが、直接的にその出会いや起用のきっかけについて触れたものを見つけることはできなかった。だが、「
ラ・バンバ 」以前からフルームと
ロス・ロボス の面々が近い距離にいたという事は推測がつく。
ロス・ロボス は82年にLAのインディ・レーベル、
スラッシュ・レコード と契約している。つまり、
ロス・ロボス とミッチェル・フルームはレーベル・メイトだったのである。フルームの起用は、このようなレーベル内のつながりによるものと想像される。
Slash Recordsレーベル・ロゴ。創業者であるボブ・ビッグスは2020年10月に他界している。
“Slash Magazine”第1号(1977年5月発刊)表紙
The Damned のデイヴ・ヴァニアンが表紙となった同マガジンの創刊号。最近ではPlayboi Carti『Whole Lotta Red』のジャケットに引用されたことが記憶に新しい。
スラッシュ・レコードについては、過去記事でも何回か言及したが、ロサンゼルスのファンジンから発展したインディ・レーベルである。初期にはGerms、X、Violent Femmesなど
アメリ カのパンク/
オルタナティヴ・ロック 史に残るようなバンドのリリースを行ない、ロンドン・レコード(ワーナー)による買収後もフェイス・ノー・モア、L7などユニークなリリースを行なっている。フルームは84年に同レーベルから1stアルバムをリリース。そのかかわりもあってレーベルからデル・フエゴスのプロデュースを依頼され、数枚のアルバムを手掛けている
(第3回参照) 。フルームと
ロス・ロボス の邂逅は偶然だったかもしれないが、メインストリームからこぼれおちた音楽(ポルノ映画のサントラやチカーノ・ロック)のリリースを扱っていたインディ・レーベルだからこそ起きた出会いであるという考え方もできるのではないか。
では、肝心の
ロス・ロボス 版「
ラ・バンバ 」を聴いてみよう。演奏としては原曲をしっかりと踏まえつつ最新の80年代ロックの
サウンド にアップデートしたものといえる。深めのリヴァーブのなか、
アコースティック・ギター をはじめとした各楽器の音がクリアに入っている。一方、
ロス・ロボス の前後のアルバムと比較するとやはり「時代の音」に寄っているのは確かで、バンドとしての肉感のようなものは乏しいかもしれない。
また、同サントラに収録されている他のプロデューサーが制作した音源などと比較して、プロデューサーのカラーが出ているかといえば、特にそうでもないように思える。これは、映画のサントラという特性もあり比較的”まっとう”な
サウンド でまとめたということなのかもしれない。フルームと
ロス・ロボス 、この両者(とチャド・ブレイク)の組み合わせが固有の
サウンド に結実するのは、ここから5年の時を経たアルバム
『Kiko』 を待つ必要があるだろう。
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余談であるが、映画『
ラ・バンバ 』から30余年が経った一昨年末、
ロス・ロボス のデイヴィッド・イダルゴとルイ・ペレスが、その名もまさしく’Come On, Let’s Go’という名前の、
リッチー・ヴァレンス を主題としたミュージカルの音楽を担当することが報じられていた。 劇の内容は「カリフォルニア、サンフランシスコ・ヴァレーの道の向こう側で育ったチカーノ・ボーイ」の物語とのことで、現代の時点から
リッチー・ヴァレンス およびチカーノ文化をどう描くかという点で興味を惹かれる。コロナの影響もあり「2020年制作」というもともとの予定が現在どうなっているかは気になるが、続報を待ちたいところだ。
5.過去記事
suimoku1979.com
suimoku1979.com
suimoku1979.com
6.参考資料および脚注
・ルーベン・
モリー ナ著・宮田信訳『チカーノ・ソウル~
アメリ カ文化に秘められたもうひとつの
音楽史 』