ミッチェル・フルーム Mitchell Froom ③ 盟友チャド・ブレイクとの出会い ーデル・フエゴスおよびリチャード・トンプソンー

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前2回はこちら 

 ここまでサポート・ミュージシャンとしての活動、ソロ・アルバム、そしてクラウデッド・ハウスのプロデュース…とフルームの歩みを追ってきたが、彼の不可分のパートナーとして、また、この30年余においてもっともユニークなエンジニアの一人として、チャド・ブレイクについて触れておこう。チャド・ブレイクはテキサス州、ベイタウンに1955年に生まれ、ギタリストとして活動したのち、79年頃にはロサンゼルスのウォーリー・ハイダー・スタジオでアシスタント・エンジニアとしてキャリアをスタートさせている。そして、86年ごろからフルームとのタッグにより、ポール・マッカートニー、プリテンダーズ、スザンヌ・ヴェガエルヴィス・コステロ、そしてラテン・プレイボーイズといった数々の重要作品が生まれていく。

 

 エンジニアとしての特徴は歪みやリヴァーブにこだわった実験的かつ音響的なアプローチで、ゼロ年代以降はバイノーラル録音といった新手法も積極的に取り入れていく。チャド単体のクレジットでもトム・ウェイツ『ボーン・マシーン』やパール・ジャム『バイノーラル』など無数にあるほか、近作だとアークティック・モンキーズの『AM』、そしてなんといってもフィオナ・アップル『Fetch the Bolt Cutters』における活躍が忘れがたいところだろう。

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ミッチェル・フルームとともにインタビューに答えるチャド・ブレイク

 

 この2人は不可分の存在として、特徴的なサウンド・テクスチャーで90年代~ゼロ年代のポップスに大きな影響を与えていくことになるのだが、2人の出会いは、正確にはいつになるのだろうか。私は第一回の記事を書いたときに、クラウデッド・ハウスのレコーディングが二人の最初の出会いと思ったのだが、

 

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上記チャド・ブレイクへのインタビューによると、彼が初めてフルームと出会ったのはそれより前、デル・フエゴスのファースト・アルバム『The Longest Day』においてのようである。つまり、84年頃ということになるだろうか。当時チャドはウォーリー・ハイダー・スタジオを離れ、サンセット・サウンド・ファクトリー・スタジオ*1にアシスタント・エンジニアの仕事を得ていた。そこにフルームがレコーディングに訪れる。

 

あなたはデル・フエゴスのレコードに参加しましたか?

 

1枚参加したよ。彼(ミッチェル・フルーム)がスタジオにやってきてファースト・アルバム(『The Longest Day』と思われる)を作ったとき、すなわちそれがぼくらが会った時だったんだ。彼は制作の際、自分で聴いて楽しいようなレコードを作ろうと言った。で、ぼくらは週末だけですべてのレコーディングをやろうとした。彼は、ぼくにやりたいようにやるように言ってくれた。なので、それまでにぼくが試していたようなことをやってみたんだ。彼は気に入ってくれたよ。レコーディングはうまくいった。まあ、ささやかなものだったが、やっていて楽しかったんだ。*2

 

 インタビューによると、チャドはこの時期商業的な録音を行なうことにうんざりしつつあり、ディストーションなどエフェクターを通した録音に関心を持っていた。また、紙や空き缶、箱などを用いて実験的なサウンドを生むことに熱中していたという。商業的な録音においてそのようなサウンドを用いることはめったにないため、デル・フエゴスの録音はその意欲を満たすことにつながったといえるだろう。

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The Del Fuegos "The Longest Time" (1984)

 

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 たとえば、『The Longest Day』1曲目の‘Nervous And Shakey’では冒頭から缶を叩くような金属的な音が鳴り響き、フェイド・アウトでは定位が変化する中でこの缶の連打が繰り返されるというアヴァンギャルドなものである。空き缶をはじめ、こうしたイレギュラーなパーカッション類を使用するというのはその後のミッチェル・フルーム=チャド・ブレイク作品でおなじみの手法だが、すでにこの時点でそういったものへの関心は表われていたと言っていいだろう。

 

 『The Longest Day』に次ぐフルームとチャドのタッグは、先述したクラウデッド・ハウスのレコーディングになる。上記と同じインタビューで、チャド自身がレコーディングに参加したいきさつや、録音風景を詳細に語っている。

 

そのあとフルームはクラウデッド・ハウスのレコーディングをやって、3人のエンジニアを雇ったあと全員をクビにしてたね。2週間ほどたってぼくとやりたいと言ってきたんだ。このセッションを片付けろってわけだね。もうトラック録りも済んでいて、あとはオーバーダブだけだった。ヴォーカルを録って、ギターを録って、ベースをちょっと録り直して…ぼくがやったのはそれぐらいだよ。ぼくはバンドの連中とうまくやったし、ミッチェルとも気が合った。で、そこでぼくらはすごく音楽的趣味が似てるなと思ったんだ。それで、彼は次のデル・フエゴスのレコードもやらないかと言ってきた。たぶんこれがぼくにとって本当の意味で初めてのレコード制作だと思うよ。ミッチェルがレコーディングの全権を握って、ぼくらはほとんど付きっきりで録音に取り組んだんだ。*3

 

 フルームとチャドは、クラウデッド・ハウスにおいてお互いの音楽的趣味の近さに気づき、意気投合したという。そこで、どのような音楽が取り上げられたのかということを想像するとわくわくするが、二人はその盛り上がりのまま、デル・フエゴスのサード・アルバムである『スタンド・アップ』(1987年リリース)の録音に取り組んでいく。

 

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The Del Fuegos "Stand Up" (1987)

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 アルバムを再生すると、冒頭の‘Wear It Like A Cape’から深いリヴァーブに包まれた妖しげな雰囲気のなか、フルームのものではないかと思わせるオルガンが鳴り、そこにギターとホーンが絡む。どちらかといえば直線的なガレージ・ロックだったこれまでの作品に対して、音が整理され、空間の使い方も巧みなものになっている。きわめて短時間で録音されたというデル・フエゴス『The Longest Day』や、レコーディングの仕上げにだけかかわったという『クラウデッド・ハウス』とは一線を画し、まさしく“付きっきりで”制作された作品ならではの音響的な完成度の高さが印象に残る。本作をミッチェル・フルーム=チャド・ブレイクのタッグによる最初のマイルストーンとして位置付けることに異論はないだろう。

 

 また、これと近い時期に録音が行なわれているリチャード・トンプソン『ダーリン・アドヴェンチャーズ』(1986年リリース)もフルームおよびチャド二人のクレジットが入っており、重要といえるだろう。

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Richard Thompson"Darling Adventure"(1986)

 リチャード・トンプソンは言わずと知れたフェアポート・コンヴェンションのメンバーであり、70年代以降もソロ・アーティストとして良質な作品を送り出し続けてきたSSWだが、レコード売上の伸び悩みなどを受けて、新機軸としてLA録音をこころみた。録音は『クラウデッド・ハウス』と同じくサンセット・スタジオ。ジム・ケルトナー(ds)とジェリー・シェフ(b)が参加しているところまで同じである。『クラウデッド・ハウス』は86年8月リリース(録音時期は1985年11月~86年3月録音とのこと)で、『ダーリン・アドヴェンチャーズ』はそれより2か月早い86年6月にリリースされており、この2つのセッションが並行して行なわれていた可能性はありそうだ。

 

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 一方は米国市場にとってはほぼ新人ともいえる若手バンド、一方は60年代からロック/フォーク・シーンで活躍する大ヴェテランということで両極端の仕事を行なっているようにも思えるが、この2枚のアルバムを続けて聴くと、アコースティック/ルーツ・ロック寄りの音楽をどう86年という時代にあったものにするか…という試みにおいて同じことをしているような気もするのである。この時期のフルームに期待された仕事は、最新のLAサウンドをどう折衷的に取り入れるか、というところにあったのではないだろうか。実際『ダーリン・アドヴェンチャーズ』はUK録音の前作とはだいぶ質感を異にする作品に仕上がり、批評家からはその「アメリカ化」「商業化」をどうとらえるか賛否両論が巻き起こった。しかし、トンプソンはその後96年に至るまで、6作のスタジオ・アルバムをフルームとタッグを組んで制作していくことになる。

 

 一方ではスタジオ・ミュージシャンを呼んだコンテンポラリーなサウンドに取り組み、一方ではインディ系のガレージ・ロック・バンドのプロデュースを行なっているというのがこの時期のフルームのユニークなところである。そして、87年にデル・フエゴスと同じくスラッシュ・レコード所属のミュージシャンのプロデュースにかかわったことが、彼の歩みにさらなる転機をもたらすことになる。

 

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*1:サンセット・サウンド・レコーダーズのオーナーが81年にサウンド・ファクトリー・スタジオを買収し、拠点としている。

*2:https://tapeop.com/interviews/16/tchad-blake/

*3:https://tapeop.com/interviews/16/tchad-blake/