相対性理論「地獄先生」の印象と「じゃじゃ馬にさせないで」

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 その曲をはじめて聴いたのは2009年の1月だったと思う。夕食後にFM802SCHOOL OF LOCK」を聴いていたら、「受験戦争もう負けそう」という不思議な歌詞の曲が流れてきた。「相対性理論の『地獄先生』です」とDJが言った。あわててメモを取った。

 

 数日後にCD屋に行くと、彼らの『ハイファイ新書』というアルバムを見つけた。ジャケットには落書きのような絵と謎の数字(総再生時間らしい)が描かれていた。「ほんとうにプロの作品なのか?」と怪しみつつもアルバムを買って家に帰り、CDコンポに入れた。「テレ東」の冷ややかなギターから、「バーモンド・キッス」の甘美なアウトロまで一聴して気に入った。それから毎日飽きずにこのアルバムを聴いていた。

 

 同じようにSCHOOL OF LOCKで「地獄先生」を聴いてCD屋に走ったという人がたくさんいるのではないだろうか・・・という気がする。この曲の印象はそれほどに鮮烈だった。

 

 今聞き直してみて面白いのは、アイデアに満ちたギターリフだ。僕はザ・スミスドゥルッティ・コラムなど80年代のバンドを連想したが、僕と同じようにたくさんの人が「これは○○の影響だ」と言っているにもかかわらず、どれも綺麗にあてはまらないところが面白い。相対性理論は2009年には「ポストパンク・リバイバル」と関連付けられていたし、2016年から見れば「シティ・ポップ」ともこじつけられそうである。(山下達郎もお気に入りだったらしい。http://natalie.mu/music/pp/tatsuro/page/10

 

 実際にメンバーはジャズやフュージョンシティ・ポップなどの素養がある人たちなのだと思う。しかし、それらの影響を感じさせつつも、決して「グルーヴ」に流れないのが彼らの音楽の特徴だった。16分でカッティングをしても「黒さ」は感じないし、ミュートの効いた単音弾きをしてもコーネル・デュプリには聴こえない。あえてグルーヴや「熱さ」を封じる「抑制の美学」がこのバンドにはあったように思う。それはYMOの「汗をかかない」という思想にも共通するものかもしれない、とふと思った。共通するのは「つくりもの」の面白さだろうか。

 

 ところで「やくしまるえつこ」の「やくしまる」は言うまでもないが、「えつこ」はこの曲から来ているのでは…と思った。

 

♪西尾えつ子「じゃじゃ馬にさせないで」

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 聴けば聴くほど「相対性理論」的なものを感じずにはいられない今日この頃である。中華風な「チャイナアドバイス」という曲が相対性理論の3rdアルバムにはあるし、「じゃじゃ馬~」の編曲が元シュガー・ベイブの松村邦男なのもなにやら符号的なものを感じさせる。この曲が好きな人たちが集まってつくったのが相対性理論だったら・・・?と妄想するのは個人的には楽しい。まさか「やくしまるえつこ」が本名だったらアレですが・・・。